ハゲ親父のささやき

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「ジョーカー」は本当にジョーカー誕生の物語なのか?

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こんにちは、カズノコです!

 

ホアキン・フェニックス主演、トッド・フィリップス監督の映画「ジョーカー」(2019)の、世界での興行収入10億ドル(約1,100億円)の大台を突破したそうです。R指定映画としては、それまでの「デッドプール2」(2018)の7億8,500万ドルの記録を塗り替え、もちろん初の快挙です。

 

この映画が第76回ヴェネツィア国際映画祭の最優秀作品賞にあたる金獅子賞を受賞したのには驚きましたが、日本でも観客動員数343万人興行収入50億円を突破(12/15現在)と、2019年の年間ベスト10をうかがう勢いで大ヒットしているのにもさらに驚きです。

 

日本人が国際映画祭でグランプリや最優秀賞を受賞した作品に弱いのはわかりますが、軒並みアニメばかりが大ヒットする日本国内の映画市場において、これはある種の事件ですよね…。

 

また、「ジョーカー」を観た人で、この映画をけなしたり、くさしたりしている人が周りに見当たらないんですね…。何がそこまでこの映画は人々を惹きつけているのでしょうか?

 

この映画が傑作であることは間違いないでしょう。それも、2010年代の終焉を象徴するような映画で、この映画がこの時代に作られたこと、そして、この時代の人々に広く受け入れられたことが重要でしょう。

 

舞台はバットマンでおなじみのゴッサム・シティですが、1980年代初頭の設定になっています。そこでは財政難に陥り、人々の貧富の差は拡大し、人心は荒廃しています。映画で描かれている社会問題はむしろ、現在の私たちの社会の抱える問題を反映しているといってもいいでしょう。

 

ホアキン・フェニックスが演じるのは、心優しい孤独な大道芸人のアーサー・フレックです。精神を病んだの母を介護しながら、ピエロの仕事を続け、スタンダップコメディアンを目指しています。その生活は貧困そのもので、報われない人生を送っています。

 

このホアキン・フェニックスの鬼気迫る演技とその肉体がこの映画の最大の見どころです。

 

アーサーは少年時代からの辛い境遇により、感情が高ぶると意思に関係なく笑いだしてしまう病気を患っています。この苦痛に満ちた嗚咽のような笑いには心を奪われます。そして、実際にホアキンが4ヵ月で24キロ近くの減量を行い、骨と皮だけのようになった体を歪めねじ曲げる姿には目を奪われました。

 

役に合わせて顔かたちや体型まで変化させ、その役にあった雰囲気までもを作り上げるようとする役者と言えば、真っ先にロバート・デ・ニーロの名前があがると思います。「デ・ニーロ・アプローチ」という言葉があるくらいです。

 

そのロバート・デ・ニーロ本人が、この「ジョーカー」ではマレー・フランクリンという人気トーク番組の司会者役で出演しています。アーサーは、この「マレー・フランクリン・ショー」に出演し、マレーから後継者として指名されることを夢見ています…。

 

 

 

 【注意!このあと「ジョーカー」に関する重大なネタバレがあります!】

 

 

 

うーん…。「ジョーカー」は、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演タクシードライバー(1976)と「キング・オブ・コメディ」(1982)の二本の作品の影響を多分に受けているとは聞いてはいましたが、正直なところ、ここまでとは思いませんでした…。

 

これは「影響を受けた」とか「オマージュ」どころの話ではなく、「タクシー・ドライバー」と「キング・オブ・コメディ」という、どちらも妄想癖の強いというか、空想と現実の見極めのつかない男を主人公にした傑作を融合して換骨奪胎したものやないか…と。

 

話に聞くと、マーティン・スコセッシ自身も、一時はこの「ジョーカー」のプロデューサーへの就任を検討していたというではないですか…。(結局は、最近のスコセッシ監督作品の多くの製作を務めている、エマ・ティリンガー・コスコフがプロデューサーとして参加しています。)

 

ロバート・デ・ニーロだけでなくマーティン・スコセッシまで取り込もうとしたんですかね…。スコセッシといえば、マーベル映画について「映画ではない。最も近いのはテーマパークだ」と発言して世界的に物議を醸しました。そのスコセッシがDCコミックスのキャラクターを題材にした「ジョーカー」については絶賛しています…。

  

 そんなことが頭の中を巡りながら「ジョーカー」を観ていましたが、ずーっとあることが頭に引っかかるんですね。それは「どう考えても、このアーサーがあのジョーカーになれるわけがない…」ということです…。

 

ジャック・ニコルソンヒース・レジャージャレッド・レトの姿が思い浮かばなかったわけではありませんが…あの「ジョーカー」ですよ…!人の心をもてあそび、残忍でもありコミックでもある、悪人たちですら足元にもおよばない他を寄せつけない異常性がジョーカーにはあります。それこそジョーカーが唯一無二のスーパーヴィランである所以だと思います

 

アーサーがいかに度重なる不幸と絶望と過酷な運命を経て同情や共感を呼ぶことはあっても、そして、ゴッサム・シティの暴徒たちから社会の歪みから生まれたヒーローとして祭り上げられようとも、アーサーがあの巨大な悪のカリスマでスーパーヴィランであるジョーカーになる、というイメージには私はつながりませんでした…。

 

よくよく考えたら、アーサーの運命が劇的に変わることになった節目に現れた野郎どもの方がアーサーよりよっぽど凶悪でゲスですよね…。

 

地下鉄で女性に絡んでいた大企業であるウェイン産業のエリート社員たちから、アーサーは殴る蹴るのひどい暴行を受けますが、持っていた銃で三人を射殺してしまいます…。

 

そのウェイン産業の経営者で市長選に立候補しているトーマス・ウェイン(つまり、ブルース・ウェインの父親ですね…)は富裕層=搾取する側の代表として描かれています。過去に母親と関係を持ち「ひょっとしたら父親ではないか?」とつきまとうアーサーを「二度と近づくな!」と思いきりぶん殴ります…。

 

自分の冠番組を持つ人気司会者のマレー・フランクリンもそれほどではないとは言え、アーサーを自分の番組の中で笑いものにしようとして呼び出し…そして、ついにアーサーはジョーカーとして覚醒します。

 

ジョーカー誕生のシーンに「素晴らしい!」と思ったのもつかの間、暗転して精神病院にたたずむアーサー…「ジョークを思いついた。でも、あなたには理解できない。」と女性の精神分析医に言い放ちます。

 

おいおい!なんて終わり方をするんだよ…と思いもしましたが、トッド・フィリップス監督の思惑が、おぼろげながら浮かんできました…。まさかとは思いましたが、ひょっとしたら、この「ジョーカー」って映画は、まるまるアーサーのジョークというか、妄想だったのか…?

 

「ジョーカー」を監督するにあたって影響を受けていると公言していた作品、特に「キング・オブ・コメディ」については、ロバート・デ・ニーロが演じたルパート・パプキンとホアキン・フェニックスが演じたアーサー・フレックの役柄も、文字通りの「劇場型犯罪」というストーリー展開も、瓜二つです。

 

しかも、「キング・オブ・コメディ」のすごいところは、エンディングまで映画で描かれている出来事が現実であるか幻想であるか、はっきりとわからないところなんですね…。監督のマーティン・スコセッシも結末について問われると回答を避けています。

 

この「ジョーカー」が怖いのは、エンディングで、ジョーカーどころか、バットマンでさえ、アーサーの妄想に過ぎなかったと思わせるところですね…。

 

「ジョーカー」の監督の(脚本も)トッド・フィリップスが狙ったのも、まさにそこでしょう。確信犯と言ってもいいでしょう。監督の思惑通り(?)あちこちで「ジョーカー」のエンディングを巡って論争が巻き起こっているのですから…。

 

私たちがイメージする唯一無二の存在であるジョーカーは、この映画「ジョーカー」には存在しません。ジョーカーである必要はないのです。アーサーのように誰しもがジョーカーになりうることができるということは、ジョーカーそのものを否定することになります。

 

過去の作品で描かれてきたジョーカーはあくまで自分たちとは異なる遠いコミックの世界の住人でした。ところが、アーサーの思い描くジョーカーは自分と重なり合う点を見つけやすく、ひょっとしたら自分もアーサーのような状況に置かれたとしたら…というあやうい気持ちになってしまうところが、多くの人の共感を得たのではないでしょうか?

 

これはある意味とても危険ですよね…。自分の中にあるジョーカーをいつでも解き放てるのですから…。全てから解き放たれた後のアーサーが、ジョーカーとなって階段で踊るダンスシーンは、この映画の中でも特に忘れがたい高揚感あふれる名シーンだと思います。

 

ヒース・レジャーが「ダークナイト」(2008)で演じたジョーカーが「究極」としたら、ホアキン・フェニックスのジョーカーは「対極」といえるでしょう。いずれにせよ「ジョーカー」は必見の作品です!

 

 

 

 

 

 まだ一部の劇場では1月まで上映されていますが、その1月にはもうブルーレイ&DVDが発売されます…早い!あとはアカデミー賞ですかね…。

 

 

 

公開当時に観たよりも、「ジョーカー」を観てから改めて観直してみると、この映画がまぎれもない傑作だったということがわかります…。

 

 

 

こちらも言わずと知れた傑作です…。デ・ニーロも年を取りました…。この映画でのトラヴィスのようなデ・ニーロは、もう観ることはできないんでしょうね…。